2015/01/20

「私はシャルリーだ」と言いづらくて(その3)

 事件発生が1月7日だから10日以上経ってしまいましたが、もう少し、思った事を書きます。最新の情報をチェックしていないので、ズレた事を書いてしまうかもしれません。追悼イラストに4人の漫画家を描くような。今現在、漫画家の犠牲者は5人だと認識しているのですが、どうかこれ以上増えませんように。


 そう、この報道を追いながら嫌でも思い知らされたのが「人は平等ではないな」という事。4人(時に5人)の犠牲者ばかりがクローズアップされてますが、一体ここ数年、中東やアフリカでどれだけの人が何も悪い事をしてないのに、誰も挑発していないのに、殺されていったのか。「中東やアフリカで」などと漠然と書いてしまう自分自身にもまた、恥じる思いがします。そして、銃撃犯に殺された警官の中にイスラム教徒がいたとか(→こちら)、同時に起きたもう一つの立てこもり事件で人質を助けた店員がマリ人だとか(→こちら)、警官や店員の行為そのものが勇敢で尊いのは勿論ですが、取り立てて宗教や国籍を強調する意図は何なのでしょう。襲撃犯がイスラム教徒であることから、イスラム教徒がイスラム教徒を襲った愚かさをあげつらう意図は無いと言い切れるのでしょうか。


 『シャルリー・エブド』紙襲撃事件を受けて、フランスでは「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリーだ)」というスローガンが生まれ、ネットの内外で、フランスの内外で、このスローガンを印刷した紙を持つ人、ツィッターやブログタイトルの背景に表示させる人が大勢発生しました。ネット上では「solidarité(連帯)」の文字を何度も見ました。表現の自由を守り、暴力による抑圧を否定する。その態度は実に正しく反論の余地は無いのですが、どうしても割り切れない思いを抱え、「私はシャルリーだ」と言えない私がここにいる事を書き留めておきたくなりました。


 「連帯」を叫べば、同時に「排除」が生まれるのは必然ではありませんか。オランド大統領は早い段階で「容疑者らについて『こういった過激派は、イスラム教とは何ら関係がない』と強調した。」と釘を刺してはいるのですが(→こちら)、イスラム教の礼拝所などが攻撃される事件が相次いで起こっていたのは(→こちら)沈静化したのでしょうか。また、テロリストとイスラム教徒とは区別されるべきである事も強調されてはいますが(→こちら)、この事件が更なる排外主義や戦争に利用されない事を願うばかりです。ただ、バルス首相が議会演説で「対テロ戦争」を宣言したとの事で(→こちら)、共通の敵を認定し国民の団結を図るというのも見え透いた手口であり、何とも嫌な予感がします。


 そもそも、果たして今回の事件(『シャルリー・エブド』紙襲撃事件と、同時に起きたユダヤ教系食料雑貨店立てこもり事件)は、『シャルリー・エブド』紙の挑発的なイラストだけが原因だと言えるのでしょうか。フランス国内でのイスラム教徒の不遇や、シリア内戦に対する不作為やマリに対する軍事介入等での大勢の死者、難民の発生も遠因には当たらないのでしょうか。風刺画の件はあくまでもきっかけ、或いは襲撃する動機のシンボルだったという事は無いのでしょうか。そんな中での「JE SUIS CHARLIE」の大合唱は、他の要因を見えにくくさせる、或いは目をそらす効果があるのではないかと勘ぐってしまいます。


 それにしても疑問なのが、『シャルリー・エブド』紙は何故、あんなにムハンマドに執着していたのでしょう。もし可能なら、同紙の風刺対象のジャンル別数や年ごとの変遷が知りたいものです。そんなにイスラム教徒が脅威だったのでしょうか。確かに「イスラム軍」や「ボコ・ハラム」の蛮行が猛威を振るっていますが、それらのならず者とイスラム教との峻別は出来なかったのでしょうか。また、この度の襲撃犯はフランス国内で生まれたアルジェリア系の孤児で(→こちら)で、同時に起きた食料雑貨店立てこもり事件犯はマリ系との事で(→こちら)アルジェリアもマリも、かつてフランスの植民地。この事件に関して「移民問題」が叫ばれているように感じますが、「植民地支配の産物」という側面もあるように思えます。なにぶん素人考えなので、見当違いだったらお許し下さい。


(すいません、まだ完結しません。恐らくあと一回で完結する予定…。)