前回の拙訳の続きです。文章がただでさえつたないのに、誤訳誤読している部分があるかも知れません。気付き次第修正していきますので、どうぞよろしくお願い致します。
コルト・マルテスは、未だ探検されていない場所をくまなく歩き回る。南洋からアフリカの辺境の地まで。そして、アマゾンや中央アジアのステップ、海賊や冒険家の世界を。その冒険の数々は、第一次大戦から更に遠く離れた戦地、植民地支配に立ち向かう大きなポテンシャルの中にある場所について勉強するのに役立つだろう。とはいえ、最も大きな衝突の歴史の二つが昔のヨーロッパで経過し、シリーズ全ての単行本の中の主要な1冊である「Las célticas(ケルト人達)」はプロローグで「コルト・マルテスの1917年から1918年の間のヨーロッパの歩みを記録する」とあるように、その時代に属する。その中の一話「Vino de Borgoña y rosas de Picardía(ブルゴーニュのワインとピカルディーのバラ)」はソンムの戦いの中で進行し、ドイツ人飛行士レッド・バロンの撃墜神話において、コルト・マルテスは部外者ではあるが極めて重大な役割を担う。レッド・バロンは、すっかり酔っ払った、射撃の腕が絶対間違いのないオーストラリア人兵士によって撃ち落とされた。彼にワインをついだのは、コルトだ。 他の話である「Concierto en Do menor para arpa y nitroglicerina(ハーブとニトログリセリンのためのハ短調協奏曲)」は、北アイルランドでの密告、裏切り、そして冤罪の物語で、ジョン・フォードの「男の敵」を時々思い出させる。去る4月には、シン・フェイン党の党首ジェリー・アダムズが、1972年の暗殺の実行について尋問するために逮捕された。殺害されたジェーン・マコンビルは10歳の息子がいる未亡人で、1972年にIRAの隊員によって誘拐され、イギリスのスパイとして不当に容疑を受け、暗殺された。その遺体は2003年まで発見されず、ベルファストから80キロの海岸で、偶然見つかった。アダムズは、アイルランド共和軍の元殺し屋が彼を、「troubles(抗争)」と呼ばれる暴動の、1970年代における対立の最悪の瞬間の中、マコンビル殺害を命じたと告発したため逮捕された。アダムズは、事件が明らかになったにもかかわらず、釈放された。これは、ウーゴ・プラットが描写するのと同じ雰囲気に属する話である。ほとんど同じ登場人物、犠牲者、そして、情け容赦のない報復する冷血漢。おそらく、この世界はコルト・マルテスの冒険の時代から魔力と魅力を失った。しかし、暴力は忘れていなかった。
この文章を訳すとき、関係する歴史上の出来事や映画のタイトルを色々と検索しました。この作品を通して様々な世界を知る人も多いのかもしれません。ところで私は外国の歴史に疎いのですが、レッド・バロンの最期って、そんなんで良いのでしょうか。いつか、ちゃんとした本で調べたいという気持ちになりました。
コルト・マルテスのシリーズはスペインでも人気があるようで、「皺」のパコ・ロカ氏(→こちらの上から4段目)や「ブラックサッド」シリーズの作画のフアンホ・ガルニド氏(→こちらの向かって左端に小さく…)が描いたファンアートがネット上で見られます。しかし、こうしてスペイン紙のサイトに記事が書かれたのは、他にも理由があるのかも知れませんし、たまたまなのかも知れません。何か思わせぶりなことを書いてしまいましたが、その理由はまた今度。