2014/11/20

コルト・マルテス、冒険の未来(2)

 前回の拙訳の続きです。文章がただでさえつたないのに、誤訳誤読している部分があるかも知れません。気付き次第修正していきますので、どうぞよろしくお願い致します。


 コルト・マルテスは、未だ探検されていない場所をくまなく歩き回る。南洋からアフリカの辺境の地まで。そして、アマゾンや中央アジアのステップ、海賊や冒険家の世界を。その冒険の数々は、第一次大戦から更に遠く離れた戦地、植民地支配に立ち向かう大きなポテンシャルの中にある場所について勉強するのに役立つだろう。とはいえ、最も大きな衝突の歴史の二つが昔のヨーロッパで経過し、シリーズ全ての単行本の中の主要な1冊である「Las célticas(ケルト人達)」はプロローグで「コルト・マルテスの1917年から1918年の間のヨーロッパの歩みを記録する」とあるように、その時代に属する。その中の一話「Vino de Borgoña y rosas de Picardía(ブルゴーニュのワインとピカルディーのバラ)」はソンムの戦いの中で進行し、ドイツ人飛行士レッド・バロンの撃墜神話において、コルト・マルテスは部外者ではあるが極めて重大な役割を担う。レッド・バロンは、すっかり酔っ払った、射撃の腕が絶対間違いのないオーストラリア人兵士によって撃ち落とされた。彼にワインをついだのは、コルトだ。
 他の話である「Concierto en Do menor para arpa y nitroglicerina(ハーブとニトログリセリンのためのハ短調協奏曲)」は、北アイルランドでの密告、裏切り、そして冤罪の物語で、ジョン・フォードの「男の敵」を時々思い出させる。去る4月には、シン・フェイン党の党首ジェリー・アダムズが、1972年の暗殺の実行について尋問するために逮捕された。殺害されたジェーン・マコンビルは10歳の息子がいる未亡人で、1972年にIRAの隊員によって誘拐され、イギリスのスパイとして不当に容疑を受け、暗殺された。その遺体は2003年まで発見されず、ベルファストから80キロの海岸で、偶然見つかった。アダムズは、アイルランド共和軍の元殺し屋が彼を、「troubles(抗争)」と呼ばれる暴動の、1970年代における対立の最悪の瞬間の中、マコンビル殺害を命じたと告発したため逮捕された。アダムズは、事件が明らかになったにもかかわらず、釈放された。これは、ウーゴ・プラットが描写するのと同じ雰囲気に属する話である。ほとんど同じ登場人物、犠牲者、そして、情け容赦のない報復する冷血漢。おそらく、この世界はコルト・マルテスの冒険の時代から魔力と魅力を失った。しかし、暴力は忘れていなかった。

 この文章を訳すとき、関係する歴史上の出来事や映画のタイトルを色々と検索しました。この作品を通して様々な世界を知る人も多いのかもしれません。ところで私は外国の歴史に疎いのですが、レッド・バロンの最期って、そんなんで良いのでしょうか。いつか、ちゃんとした本で調べたいという気持ちになりました。


 コルト・マルテスのシリーズはスペインでも人気があるようで、「皺」のパコ・ロカ氏(→こちらの上から4段目)や「ブラックサッド」シリーズの作画のフアンホ・ガルニド氏(→こちらの向かって左端に小さく…)が描いたファンアートがネット上で見られます。しかし、こうしてスペイン紙のサイトに記事が書かれたのは、他にも理由があるのかも知れませんし、たまたまなのかも知れません。何か思わせぶりなことを書いてしまいましたが、その理由はまた今度。

2014/11/19

コルト・マルテス、冒険の未来(1)

 邦訳は刊行されていないもののヨーロッパやラテンアメリカで人気を博し、アニメ映画は日本でも公開されたのがイタリア人漫画家Hugo Prattの手による「Corto Maltese」シリーズ。1967年~1989年に描かれ、アルバム(単行本)は様々なスタイルで刊行され続け、今も愛読されている模様です。旧ブログでは最初の2冊のあらすじと感想を書きました(→こちら→こちら)。


 ところで、作者名「Hugo Pratt」並びにシリーズタイトル名であり主人公名である「Corto Maltese」のカナ表記をどうしようかいつも悩みます。アニメ映画公開時やDVDの表記が、作者名は「ユーゴ・プラット」、作品名(主人公名)が「コルト・マルテーズ」となっているので、これに準拠したい気持ちがあるのですが(だってわざわざ日本で公開して下さったんですよ!それにDVDも!!)、作者がイタリア人だから「ウーゴ・プラット」、主人公が生まれた頃のマルタ島の公用語はイタリア語だったそうだから(参照:ウィキペディアの「マルタ語」の項)「コルト・マルテーゼ」表記の方が良いかも…と思ったりもします。いつか邦訳が刊行されて、表記が統一される日が来るのを願っています。ただ、この主人公さんの名前は「マルタ人のコルト」という意味合いだから、国によって呼ばれ方が異なり、スペイン語では表記も発音も変わり「Corto Maltés(コルト・マルテス)」となります。


 今年の夏8月18日、スペインの新聞「エル・パイス」の電子版に「Corto Maltés」についてのコラム(→こちら)が掲載されました。ウーゴ・プラットが亡くなったのが1995年8月20日だから、命日に寄せて書かれたのかも知れません。ただ、今年は第一次世界大戦の開戦百周年にあたるから、作品世界の紹介にとどまらず、時代背景も織り交ぜているかのような文章です。拾い読みして興味がわいてきたので、以下に拙訳を試みました。文章が長いので、2回に分けて掲載します。


漫画の一つ…過去の
コルト・マルテス、冒険の未来
  • ウーゴ・プラットが思い描いたロマンチックな船乗りは、世界が未だ大いに神秘的だった時代に属する者である。

corto_jeunesse_watercolor.jpg ウーゴ・プラットによる水彩画の中のコルト・マルテス

 「私は自分の未来は知りたくない。何故なら、そんなことをしたら自分に自分に対して興味を持つのをやめるだろうから。」コルト・マルテスは、予知能力者が彼の未来を細かく調べようとしたとき、きっぱりと言った。ロマンティックな船乗り、60年代の終わりにウーゴ・プラットによって創造され、一つの時そして一つの時代に属する。それは大冒険の時代であり、ジャック・ロンドン――数あるエピソードの一つに現れる―、或いはロバート・L・スチーブンソンと同じ世界を共有する。1887年に生まれ、ジブラルタルのジプシーとコーンウォールの水兵の息子で、彼の冒険の大部分は、この夏で開戦百周年記念にあたる第一次世界大戦下の状況で事が運ぶ。例えば1917年の他、11エピソードの主役を演じる。プラットが最後に刊行した巻である「Mú(ムー)」は、全シリーズの中で最もシュールレアリズム的で奇妙なものであり、時は1925年へと移る。その後、彼は地図から姿を消し、決して知りたいと思わなかったこの未来の中で突然いなくなった。カッシュという、アフリカの角(訳注:ここではエチオピアを指す)の砂漠の放浪者、容赦のない残虐行為もやりかねない、そしてエチオピア人達の中でコルト・マルテスの親友だった男は、プラットの他の漫画で第二次世界大戦中の話という設定の「Los escorpiones del desierto(砂漠のサソリ達)」の中できっぱりと言う。「スペイン内戦中に姿を消した」と。


 コルト・マルテスの冒険の数々は、全てが変わってしまう前の、まさにそのひとときの中で事が運ぶ。第一次大戦は近代の最初の衝突であり、同時に、古典的な時代の最後の衝突であり、軽機関銃、飛行機、そして最初の戦車(1916年のソンムの戦いにおける戦闘で登場)が登場した。しかし、ほとんど全てが致命的となるかのごとき前進をして戦う多くの将軍は創造上の人物ではなかったし、防御する敵に立ち向かう兵士達を指揮をするさまは、あたかもナポレオンの突撃か、或いはカルタゴ人のそれかのようだった。Adam Hochfield(アダム・ホックシールド)は、その壮観な争いの時代の中で警告する。著書「Para acabar con todas las guerras. Una historia de lealtad y rebelión. 1915-1918 (Península)(全ての戦争を終わらせるために:忠誠と反逆の歴史 1915-1918 Península社刊)」は、最も重要な陸軍元帥であるDouglas Haig(ダグラス・ヘイグ)卿が暴露した言葉を引用する。「今日の熱狂的な幾人かの人々は予言する。未来の戦争では、飛行機や戦車や自動車は馬に取って代わるだろう。しかし、私は、未来においても馬の価値や利用する機会は相変わらず大きいだろうと思う。」


 ウーゴ・プラットの主人公自身は、彼の世界が消える時であることを理解し、それゆえ自ら消え失せることを決意した。「コルト・マルテスは行ってしまった。何故ならこの世界の中は、全てが電子化され、至る所で計算され工業化され、彼のようなタイプのための場所は無い。コルト・マルテスはこの世界を、この暮らしを受け入れない。去って行くのを望むだろうし、そしてその時、私は彼が行ってしまうのを描かなければならない。何故なら、彼は友人であり、我々と共にとどまるのを望まないから。」と、プラット自身が断言する。Dominique Petitfaux(ドミニク・プティフォー)が収録したインタビュー集「De l'autre côté de Corto(コルトのもう一つの側面」によると。そして、この漫画家がこれらの発言をしたとき、世界は今よりずっと広かった。何故なら、携帯電話もインターネットも無かったから。「コルト・マルテスの行動は、大冒険が可能だった時代、コンラッドやメルヴィルの時代の中にある。」と、ミロ・マナラは指摘する。マナラは、ウーゴ・プラットの友人であり、彼と共に「Verano Indio(インディアン・サマー)」や「El Gaucho(ガウチョ)」を描き、「HP y Giuseppe Bergman(HPとジュセッペ・ベルグマン)」でオマージュを捧げた。



(続く)

 引用部分冒頭のイラスト、行進する兵士達と反対の方向へと、コルト・マルテスは歩いていきます。激動の時代にあっても、自分の進むべき道を行くかのごときです。今現在、私達は、いや私はどこに向かうか。少し考えさせられました。

2014/11/08

2015年アングレーム国際漫画祭のポスターは…

 突然ですが、私の名前は瓜坊(うりぼう)。ネットを漂う名も無き民草(たみくさ)。ブログ「漫画展望台」から移転して参りました。引き続き、漫画や漫画に関連した話題を書き連ねていきたいと思います。ネットの片隅のささやかなブログではありますが、どうぞよろしくお願い致します。


 さっそくの話題は、フランスで来年1月29日~2月1日に開催される、アングレーム国際漫画祭(→公式サイト)。つい先日、公式ポスターが発表されました。描いているのは、『カルヴィン&ホッブス(Calvin and Hobbes)』のビル・ワターソン(Bill Watterson)氏。慣例では、グランプリに選ばれた漫画家が次回のポスターを描き、議長を務める事になっています。今年のグランプリは、ノミネートされた漫画家の中から、作画家、ライター、カラリスト達の投票で決定されました。ただ、ワターソン氏は『カルヴィン&ホッブス』の連載が終わった1995年以来作品を発表せず、また、公の場に姿を現した事が無いとの事で、果たしてポスターの制作や議長が務まるのかと、アメリカの漫画に詳しい方々から疑問の声が挙がっていました。すみません、私はその辺りの事情は全然知らなかったのですが、グランプリに選んだからには、何らかの事が起こるであろうと思い、成り行きを注目していました。


 その間、ワターソン氏に関する様々な出来事がありました。ドキュメンタリー映画『Stripped(→公式サイト)』のポスター画や音声インタビュー出演、アメリカでの原画展(→こちら)、Stephan Pastis氏の連載漫画『Pearls Before Swine』でのコラボ(参考:英ガーディアン電子版記事)。……と、『Calvin and Hobbes』の連載終了から20周年にあたる2015年に向けて盛り上がっているようです。


 ▼そして、11月5日に発表された公式ポスターがこちら。
affiche_angouleme_2015.jpg


 映画『Stripped』と同様、「コミック・ストリップ」と「ストリップ(裸になる)」をかけたイラスト。そして、全体的なレイアウトや、くたっとした紙を束ねているような質感が、あたかも新聞1面まるごと使って掲載された漫画のようで、かつての仕事であったコミックストリップへのこだわりを感じさせます。このポスター発表にあたって、ビル・ワターソン氏は仏「20minutes」というサイトの独占インタビューに答えていたので(→こちら)、記事中のインタビュー部分について翻訳してみました。言葉の選び方や話し言葉をどう表現したら等々、色々悩みました。また、誤訳があったらすみませんです(ご指摘いただけると助かります)。

Q:あなたは、アングレーム国際漫画祭のグランプリに選ばれた事を評価しますか?
A:正直なところ、漫画祭の世界とその賞は、私の日々の関心事からは遠いものです。しかし、私の仕事を人々が高く評価し続けていると聞いて、今なお満足しています

Q:あなたは次回の議長となります。フランスに出張するつもりですか?
A:いいえ、私の参加は公式ポスターの制作をする事と、行為としては、私の仕事を用いた展覧会に提供した原画の幾つかを発送した事にとどめています。

Q:あなたはもう長い間描いていません。なぜ公式ポスターの制作を受け入れたのですか?
A:私は、それは面白い挑戦だと思いました…、そして、本当にその通りでした!

Q:このポスターで表現したかった事は何ですか?
A:私はまず第一に、私自身の仕事を連想させるものにしようと努め、それで、アメリカの日曜日の新聞の付録に見られるようなコミックストリップを読んでいる絵を描き(編集部注:『カルヴィン&ホッブス』はその形式で掲載されていました)、…そして、新聞のレイアウトの中に、あたかもそこにに載るコミックストリップの一つみたいに描くと面白いと思いました。更に、普遍的な調和のある表現にするために、私は全てのセリフを、すなわち言葉に関する全ての壁を取り除きました。ただ絵だけによる物語を語る事は、一つの大きな力――そして一つの大きな楽しみ――を漫画に与えます。その感覚によって、私は、私の仕事と同時に漫画全般が表現できればと望みます。そして、読むのが面白いメディアを描く人に敬意が表されればと。

Q:カルヴィンとホッブスはあなたを有名にしました。何故ポスターに彼らは姿を現さないのですか?
A:私は私の登場人物を、私自身の仕事以外の物事を広める為には決して使いません。そして漫画は、その全体として広めるべきです。


 ……以上、拙訳にて失礼しました。ところで、前述の映画『Stripped(→公式サイト)』、DVDがリージョンフリーで売ってるのですが、字幕が無さそうで…。日本で字幕付けて公開して頂けると有り難いのですが。アメリカの新聞とコミックストリップの貴重な歴史資料を、是非とも。


【2015年1月30日追記】今回のアングレーム国際漫画フェスティバル、「アングレーム国際漫画フェスティバル 日本語ブログ【公認】」が誕生しています。現地の模様が日本語でわかるというのは素晴らしいですね。尚、今年のグランプリは初日に発表されて、大友克洋氏が受賞したそうです(→こちら)。おめでとうございます!