2015/01/16

「私はシャルリーだ」と言いづらくて(その2)

 前回のエントリで、私がツィッターのTLを眺めて『シャルリー・エブド』本部襲撃事件に気付くちょっと前に見たTWは以下の2つ。共にスペインの新聞の電子版で、上は『エル・ムンド(@elmundoes)』からのRTでした。

▼(拙訳:フランスの週刊誌『シャルリー・エブド』の幾つかの表紙)




▼(拙訳:襲撃されたばかりの風刺紙『シャルリー・エブド』は、2006年にムハンマドの戯画を発表した)

 この2つの画像を見たとき「まーた、あそこ何かやらかしたのか」と思ったのは、上記の下のTWにもあるように、ムハンマドの戯画の一件を思い出したから。デンマークの『ユランズ・ポステン』紙が掲載した画像を再掲載して、イスラム諸国で抗議を受けた件。その時刊行された増刊号の表紙画像が以下の通り。
▼(拙訳:原理主義者達についていけないムハンマド。「馬鹿者達に愛されるのは辛い…」)
charlie-hebdo_dur.jpg
 私には、この表紙の絵がとても不快に見えました。大元のデンマーク紙の絵も酷いと思いましたし。乱暴を働いているイスラム教徒がいれば、その人達を非難すべきなのに、なんでムハンマドを持ち出すのか。イスラム教では偶像崇拝は禁じられていると聞きますし、ましてや対象は彼らにとって大事な預言者。大元のデンマーク紙の絵に大勢のイスラム教徒が抗議活動を起こすのは、それ程おかしい事とは思えませんでした。それに加えて、この表紙画。抗議者の神経を逆撫でして何が面白いのでしょう。しかも、何で預言者に成り代わって、勝手に心境を代弁するのでしょうか。
 また、この時期はイラク戦争が継続していた時代。あるんだかないんだか結局うやむやにされた「大量破壊兵器」の為に戦争が勃発し、多くの人々が殺傷された事でしょう。イラク戦争に先立つ、911を受けてなされたアフガニスタン空爆も同様に。確かに悪事をはたらくイスラム教徒はいたのでしょう。しかし、そうではないイスラム教徒までもが巻き添えを喰らう事のどこに正当性があるのか。この表紙画もそうやって、罪を犯していないイスラム教徒をも巻き込んで傷つけているように思えました。


 この時の表紙画はイスラム系の有力組織2団体が提訴したそうですが(→こちら)、被告の『シャルリー・エブド』紙編集長が勝訴したとの事(→こちら)。欧米ではヘイトスピーチの法整備がなされているとは聞きますが、裁判で勝てば侮辱には当たらないというのでしょうか。裁判に勝ったというのは、単に不法行為にあたらないというだけの話で、倫理的に問題があると主張する事自体は何ら間違っていないと、私は思います。
 かつて『ルモンド』紙に掲載された「シャルリー・エブドはレイシストではない」という記事を翻訳されてる方がいらっしゃるのですが(→こちら)、正直、「独りよがり」という感想がぬぐえません。執筆者達は自ら「左派」だと言うのですが、上記のムハンマドが嘆く表紙を見て思うのは、権威の姿を借りてもの申すというのはその権威を認めているという事で、それが左派の行為と言えるのだろうか。また、このエントリ冒頭に引用したRTの画像の一つの、警官が女性の頭を殴っている絵の吹き出しは「中絶禁止!」と書いてあるのですが、警官の行為を非難しているのでしょうけれど、何らかの出来事で苦しんでいるであろう妊婦の描写が酷くて、見るに堪えません。こういう感想を書くとナイーブのそしりを免れないかも知れませんが、逆に言わせて貰えば、そちらは暴力指向に思えます。拳を振るうだけが暴力ではありません。


 あと、どうしても不愉快に思えたのはこの表紙画。
▼(拙訳:愛は憎しみより強い)
charlie_hebdo_lamour
 どういう出来事を受けて描かれたかは知りませんが、イスラム教徒との和解が何ら行われていないであろうに、一方的に相思相愛を描いていると思います。相手の気持ちを考えない、一方的な愛の行為は、暴力というものです。この絵を見て喜ぶイスラム教徒が果たしているのでしょうか。むしろ神経を逆撫でしているのではないかと思いました。


 先述の翻訳記事に「司祭、ラビ、イマームのことを笑いものにしつづける。」と書いてあって、どの宗教も分け隔てなく笑いの対象とするという、一件フェアな態度のように見えますが、ムハンマドはイマームでは無いと思うのですが。キリストをおちょくっている絵を描いているのにムハンマドを描かないのはおかしいという事なのかも知れないのですが、やっぱり独りよがりな態度に思えます。ところで、仏教や神道は笑いものの対象では無いのでしょうか。『シャルリー・エブド』紙のツィッター(@Charlie_Hebdo_)の画像だけを追って見たのですが、政治家の戯画が多くて、一見リベラルに見えますし、先述の翻訳記事でもその旨主張されているのですが、それをもってムハンマド描写への不快感が覆ることはありません。言葉や知識の壁があるし、現物を読んだ事もないのですが、ネットに上がっているものを見る限り、『シャルリー・エブド』紙に対する私の印象は「独りよがり」の一言につきます。


 ところで、今回の襲撃事件を受けて、私の過去のTWが発掘され、ポツポツとRTされてます。現在たったの12RTですが、ネットの秘境のような零細アカウントにとっては珍しい事です。


 確かに私は『シャルリー・エブド』の風刺画に批判的ですが、だからといって、決して「その血であがなえ」とは言ってませんから。そこはどうか誤解のないようにお願いします。


(その2では完結出来ませんでした。この件、まだ続きます。長くなってすみません…。)