2014/11/19

コルト・マルテス、冒険の未来(1)

 邦訳は刊行されていないもののヨーロッパやラテンアメリカで人気を博し、アニメ映画は日本でも公開されたのがイタリア人漫画家Hugo Prattの手による「Corto Maltese」シリーズ。1967年~1989年に描かれ、アルバム(単行本)は様々なスタイルで刊行され続け、今も愛読されている模様です。旧ブログでは最初の2冊のあらすじと感想を書きました(→こちら→こちら)。


 ところで、作者名「Hugo Pratt」並びにシリーズタイトル名であり主人公名である「Corto Maltese」のカナ表記をどうしようかいつも悩みます。アニメ映画公開時やDVDの表記が、作者名は「ユーゴ・プラット」、作品名(主人公名)が「コルト・マルテーズ」となっているので、これに準拠したい気持ちがあるのですが(だってわざわざ日本で公開して下さったんですよ!それにDVDも!!)、作者がイタリア人だから「ウーゴ・プラット」、主人公が生まれた頃のマルタ島の公用語はイタリア語だったそうだから(参照:ウィキペディアの「マルタ語」の項)「コルト・マルテーゼ」表記の方が良いかも…と思ったりもします。いつか邦訳が刊行されて、表記が統一される日が来るのを願っています。ただ、この主人公さんの名前は「マルタ人のコルト」という意味合いだから、国によって呼ばれ方が異なり、スペイン語では表記も発音も変わり「Corto Maltés(コルト・マルテス)」となります。


 今年の夏8月18日、スペインの新聞「エル・パイス」の電子版に「Corto Maltés」についてのコラム(→こちら)が掲載されました。ウーゴ・プラットが亡くなったのが1995年8月20日だから、命日に寄せて書かれたのかも知れません。ただ、今年は第一次世界大戦の開戦百周年にあたるから、作品世界の紹介にとどまらず、時代背景も織り交ぜているかのような文章です。拾い読みして興味がわいてきたので、以下に拙訳を試みました。文章が長いので、2回に分けて掲載します。


漫画の一つ…過去の
コルト・マルテス、冒険の未来
  • ウーゴ・プラットが思い描いたロマンチックな船乗りは、世界が未だ大いに神秘的だった時代に属する者である。

corto_jeunesse_watercolor.jpg ウーゴ・プラットによる水彩画の中のコルト・マルテス

 「私は自分の未来は知りたくない。何故なら、そんなことをしたら自分に自分に対して興味を持つのをやめるだろうから。」コルト・マルテスは、予知能力者が彼の未来を細かく調べようとしたとき、きっぱりと言った。ロマンティックな船乗り、60年代の終わりにウーゴ・プラットによって創造され、一つの時そして一つの時代に属する。それは大冒険の時代であり、ジャック・ロンドン――数あるエピソードの一つに現れる―、或いはロバート・L・スチーブンソンと同じ世界を共有する。1887年に生まれ、ジブラルタルのジプシーとコーンウォールの水兵の息子で、彼の冒険の大部分は、この夏で開戦百周年記念にあたる第一次世界大戦下の状況で事が運ぶ。例えば1917年の他、11エピソードの主役を演じる。プラットが最後に刊行した巻である「Mú(ムー)」は、全シリーズの中で最もシュールレアリズム的で奇妙なものであり、時は1925年へと移る。その後、彼は地図から姿を消し、決して知りたいと思わなかったこの未来の中で突然いなくなった。カッシュという、アフリカの角(訳注:ここではエチオピアを指す)の砂漠の放浪者、容赦のない残虐行為もやりかねない、そしてエチオピア人達の中でコルト・マルテスの親友だった男は、プラットの他の漫画で第二次世界大戦中の話という設定の「Los escorpiones del desierto(砂漠のサソリ達)」の中できっぱりと言う。「スペイン内戦中に姿を消した」と。


 コルト・マルテスの冒険の数々は、全てが変わってしまう前の、まさにそのひとときの中で事が運ぶ。第一次大戦は近代の最初の衝突であり、同時に、古典的な時代の最後の衝突であり、軽機関銃、飛行機、そして最初の戦車(1916年のソンムの戦いにおける戦闘で登場)が登場した。しかし、ほとんど全てが致命的となるかのごとき前進をして戦う多くの将軍は創造上の人物ではなかったし、防御する敵に立ち向かう兵士達を指揮をするさまは、あたかもナポレオンの突撃か、或いはカルタゴ人のそれかのようだった。Adam Hochfield(アダム・ホックシールド)は、その壮観な争いの時代の中で警告する。著書「Para acabar con todas las guerras. Una historia de lealtad y rebelión. 1915-1918 (Península)(全ての戦争を終わらせるために:忠誠と反逆の歴史 1915-1918 Península社刊)」は、最も重要な陸軍元帥であるDouglas Haig(ダグラス・ヘイグ)卿が暴露した言葉を引用する。「今日の熱狂的な幾人かの人々は予言する。未来の戦争では、飛行機や戦車や自動車は馬に取って代わるだろう。しかし、私は、未来においても馬の価値や利用する機会は相変わらず大きいだろうと思う。」


 ウーゴ・プラットの主人公自身は、彼の世界が消える時であることを理解し、それゆえ自ら消え失せることを決意した。「コルト・マルテスは行ってしまった。何故ならこの世界の中は、全てが電子化され、至る所で計算され工業化され、彼のようなタイプのための場所は無い。コルト・マルテスはこの世界を、この暮らしを受け入れない。去って行くのを望むだろうし、そしてその時、私は彼が行ってしまうのを描かなければならない。何故なら、彼は友人であり、我々と共にとどまるのを望まないから。」と、プラット自身が断言する。Dominique Petitfaux(ドミニク・プティフォー)が収録したインタビュー集「De l'autre côté de Corto(コルトのもう一つの側面」によると。そして、この漫画家がこれらの発言をしたとき、世界は今よりずっと広かった。何故なら、携帯電話もインターネットも無かったから。「コルト・マルテスの行動は、大冒険が可能だった時代、コンラッドやメルヴィルの時代の中にある。」と、ミロ・マナラは指摘する。マナラは、ウーゴ・プラットの友人であり、彼と共に「Verano Indio(インディアン・サマー)」や「El Gaucho(ガウチョ)」を描き、「HP y Giuseppe Bergman(HPとジュセッペ・ベルグマン)」でオマージュを捧げた。



(続く)

 引用部分冒頭のイラスト、行進する兵士達と反対の方向へと、コルト・マルテスは歩いていきます。激動の時代にあっても、自分の進むべき道を行くかのごときです。今現在、私達は、いや私はどこに向かうか。少し考えさせられました。